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変わる時代。変わらない職人修行。

わごいち南窓の赤畳
わごいち南窓の赤畳

わごいちの畳の広間

 

前回の続き。わごいち自慢の縁側赤畳。

 

主に採光と洗濯干しの場である縁側は、直射日光が差し込むので、ビニール製の畳です。日光が生きる赤色を入れています。

 

その奥、施術空間33帖とスタッフルーム6帖、あわせて39帖は、熊本の天然イグサを使った本当の畳です。管理は橋本たたみ店さんにお任せしています。

 

7年前、わごいちがこのタケコウビルに移転する際に、畳も一新することになりました。わごいちにはそれまで十三にお世話になっていた畳店がありました。腕の良いベテラン畳職人さんで良いお付き合いをさせていただいていました。

 

ところがそのタイミングで、「畳屋として独立する幼馴染みがいるんですけど...」という参尽さんの言葉に、一も二もなく院長先生は橋本たたみ店さんにお願いすることにされました。

 

 

 

気長なお付き合い

 

大手畳店勤務から独立開業した橋本たたみ店さんの初仕事は、わごいちの広間でした。個人宅ならいざ知らず、いきなり39帖の仕事はさぞやりがいがあったことと思います。私たちも移転でバタバタしている中、大量の畳制作をきっちりと納期に間に合わせてくれました。

 

その後もメンテナンスや裏返しなど、これまで7年間にわたってお世話になっているのですが、時に失敗もありました。

 

移転間もなくして、畳の間に隙間が出てきたことがありました。院長先生が橋本たたみ店さんに相談すると、「古いビルで床もがたがたですから・・・」とつい口にされたことがありました。

 

その時院長先生は「なるほど」と応えていましたが、あとで私たちに「十三の畳屋の親方はそれも見越して初めに調整してたんや。経験不足は仕方ないけど、これからも言い訳するようなら先は暗いなあ。」と話されていたことを覚えています。

 

それでもすぐに隙間修正にこられたのは流石というべきで、私たちも色々な意味でほっとしました。

 

 

院長先生が、リスクを取って仕事を任せ、失敗を見守り、応援し続けるのは、きっと職人は気長に周囲が育てるものだという考えがあるからだと思います。

 

 職人には経験が必要なのです。それを活かすかどうかは職人次第です。

 

 

 

橋本たたみ店のはっちゃんの旧工場にて
橋本たたみ店のはっちゃんの旧工場にて

短かすぎる修行

 

私たちが出会った橋本たたみ店さんは開業直後だったとはいえ、すでに畳専門学校卒業後、10年ほど大手畳店で修業をされた後でした。今の世間感覚では充分なキャリアを積んでおられました。

 

しかし、畳のような日本の伝統的職人社会においては、10年と言えどもベテランとは言えないものです。例えば宮大工の世界では20年で一人前と言われるようです。

 

 

そう思うと整体の世界はちょっと異常かもしれません。

 

1週間研修で素人がクイックマッサージデビュー、といった話を聞きます。人の体を預かる仕事が1週間で身につくはずもありませんが、白衣を着てしまえば見た目ではベテラン先生に見えてしまうものでしょう。

 

畳職人の世界ならば「そんな1週間で一人前の顔をするな!」と相手にもされないでしょうが、この世界では「もう一人前だから、現場に出なさい。」と白衣を渡されるのです。そして皆さんの体に触れるのです。

 

 

 なぜこんなことがまかり通っているのでしょうか。

 

 

 

わごいちの更衣室
わごいちの更衣室

わごいちの徒弟制度

 

わごいちは徒弟制度をとっています。参尽さんは弟子歴13年目、私は6月で8年目に入ります。

 

私の場合、わごいちに入る前に、院長先生が主宰されていた「三宅式整体塾」で前修行をしました。6か月間でした。そこで厳しい?審査をへて合格をいただいて、正式に弟子としてわごいちの徒弟制度に入りました。

 

弟子の初めは院の裏方の仕事をしながらの修行でした。施術現場には入りません。半年間修行をさせてもらいました。そして丹足スタッフとして施術現場に入ることが許されました。丹足修行を初めて1年後のことでした。

 

ちなみにわごいちではハラ揉みができてようやく一人前という考えです。つまり私は丹足スタッフではありましたが、ハラ揉みは修行中ということでまだまだ半人前という立場でした。

 

あれから7年、その後若葉コースという新人育成コース、山水コースでのハラ揉み研修を経てようやく今、一人前のハラ揉み師として認められるようになりました。三宅式整体塾も含めると実に丸8年の修行を経て今に至ります。

 

 

 

 

職人修業は5年単位、10年単位

 

今の時代においては何とも気の長いような徒弟制度ですが、そうした私たちの取り組みを会員さんも一緒になって見守ってくれる文化がわごいちにはあります。

 

「わごいちの施術ができる人が育ってもらわないと、私たちが困るから。」なんて笑って話してくれた方も沢山います。

 

満足していただけてないんだなと、未熟な頃はやっぱり凹みました。同時に意気にも感じました。わごいちの技術がそう簡単に習得出来る訳もありません。だからこそ皆さん、わごいちに通われるのだから。私もこれだと思って弟子に入ったのですから。

 

 

「経験を積ませてもらえる皆さんに感謝しないといけないよ。」

院長先生はそう何度もおっしゃいました。

 

本物の技術でないと意味がない。本物の技術をこの身に付けるには、相当な努力と時間が要る。

 

わざわざ言わなくても良いはずのことだけれど、今の時代にはそれが忘れられつつありはしないか。

 

 

7年前、研修期間の施術する私
7年前、研修期間の施術する私

橋本たたみ店の次のステップ

 

徒弟制度のなかに7年いて、学ぶものは技術だけじゃないと改めて感じます。

 

「なぜ若い女性が弟子になったの」と色々な人に聞かれてきましたが、弟子にならないと得られないものがあるから、と言うよりほかありません。

 

 

橋本たたみ店さんは現代日本で廃れつつある畳文化を守りたいと、昔ながらの畳職人を引き継ぎ残したいと、人生をかけて今も修行しているのだと思います。高校を卒業して畳の世界に入ってから20年。今回、満を持して河内小阪に移ってきました。

 

独立してからの7年を見守り続け、応援してきた院長先生は、互いにそうした職人文化を守っていこうという応援で、今回の移転祝いにお花を贈られたのでしょう。

 

 

 

移転祝いへ
移転祝いへ

 

 

 

 

わごいちの手作り更衣室の椅子には、私たち3人が橋本たたみ店さんに教えてもらった自作の畳を敷いています。「橋本畳店」の焼き印は、院長先生がプレゼントされたもの。それから玄関の腰掛けにも、橋本たたみ店に頼んで作ってもらった畳の敷物を置いています。

 

 

 

橋本畳店の焼き印、探してみて下さい。
橋本畳店の焼き印、探してみて下さい。

 

 

 

畳職人の世界も世代交代が進んでいるといいます。

 

その流れの中で、町の小さな畳屋さんがなくなり、工場での大量生産品が広く出回っているようです。本物が一体何なのか、それは人によって感じ方は違うのかも知れません。

 

それでも、実直に受け継いできたものを現代に生きる私たちに添うよう、工夫と修行を重ねている畳職人さんに畳を作って欲しいと私は思います。それが畳文化や畳職人さんを後世に残すことに少しでも繋がるなら何よりです。

 

 

わごいちの畳をお任せしている橋本たたみ店さん、もし畳のことでお悩みがあったり、関心がある方は、どうぞ相談なさって下さい。丁寧に仕事をしていただけます。

 

橋本たたみ店HP
画像をクリックすると橋本たたみ店さんのサイトに飛びます

 

 

 

 

 

井上紙鳶