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「柔」の技術と「剛」の技術

若干凹んでます

 

すみません、今日はちょっとマニアックなブログです。

7月に入っても、お師匠からの特別稽古を受けさせてもらっています。

 

私、若干凹んでます。

 

 

そして、必死です。

 

 

 

圧と深さ

 

わごいちの施術では肋骨のほぐしもあります。肋骨と内臓の関係は非常に大きいのですから。

 

 

しかし肋骨&内臓ほぐし、これがとても難しいんです。圧だけでほぐせば肋骨にヒビが入ったり、折れたりします。とても細くて脆い骨ですから。だけど肋骨の委縮がきついと、深くほぐす必要がある。肋間を、安全に深くほぐす技術。

 

 

 

ロート胸という病気があります。日本形成外科学会では、「みぞおち付近を中心に胸部が陥凹する先天異常であり、肋軟骨が長いことに原因がある」と定義されています。プレートを入れて肋骨を押し広げる、Nuss(ナス)法といった手術が有効な治療法とされています。

 

 

しかし本当に肋軟骨が原因か。疑問が残ります。

 

 

なぜならわごいちでは、ロート胸のくぼんだ肋骨が膨らみを取り戻していく光景があるからです。

 

「漏斗胸の多くは先天異常ではなく、幼少期の呼吸及び運動習慣に起因する後天的なものなんだ。だからやりようで直る可能性はある。」

 

と師匠は言います。

 

 

 

師匠の「剛柔自在」の肋骨ほぐし。

 

肋骨を折らずに、肋骨の形を変えていく施術です。さらに言えば肋骨の形を変えて保持できるようにならなければ、ロート胸の改善とは言えません。その為には内部の臓の配置もまた変えて行く必要があると師匠は言います。

 

ゆっくりと、しかし確実に、凹んでいた肋骨が盛り上がってくる光景を見ると、感動を覚えます。

 

 

「柔」と「剛」

 

昔から多くの技術において、それは道の世界においても、「柔」の技術と「剛」の技術は常に両立してきたのでしょう。どちらが優れているとか劣っているとか、そんな話ではなく、尊重し合う比較対象だったのでしょうか。

 

それが敵対する対象となるのも頷けるような気がします。だって、やっぱり真逆のように取れなくもない。

 

 

すみません、今の私にはまだとうてい語れるものではありません。今、「柔」と「剛」を修行の身です。秘奥義「柔」に挑むのに、「剛」もゼロスタート、そんな感じ。

 

 

正直果てしない。稽古を積み重ねるほど果てしない。

 

師匠の背中が遠い。

 

謙虚にならざるを得ない。

 

 

そうした環境に身を置けることは幸せです。

 

 

 

7年間、そばにいても。

 

何が幸せって、「本物だ」と思えることです。その本物さに圧倒され続けること。

 

それでも適わないのは悔しいです、やっぱり。

 

 

私はずっと、「丹足では世界一になる!師匠とも並ぶ、越えてみせる。」そう思ってやってきました。せめて丹足は、と。

 

 

せめて丹足は?・・・そんな考えでいた自分を殴り飛ばしたい。(いや、ほんとに。)

 

丹足なめんな、ってどの口が言ったのか。(私です、過去に書きました・・・)

 

 

丹足にしてもハラ揉みにしても、根本なんです。根本が見えてない。分からないから間違える。

 

 

「剛」だからと言って、力押しのいわゆるな圧押しマッサージとは世界が違います。「柔」だからといって、気功でもないしヒーリング的な癒しでもない。ソフトタッチでさえない。

 

ほぐして流してなんぼの丹足とハラ揉み。直してなんぼ、治ってなんぼです。その上での「柔」。

 

 

結局何の話かというと、

「お師匠さん!なんでいとも容易くそれが見えてそれができるんですか?!」

ということです。

 

 

わごいちの秘奥義、「柔」は「剛」とは全く別物。だけど両立するもの。変幻自在。

 

剛でもう十分なのに、剛でさえ柔でもあるように感じるのに、柔はもう、、、、、

見えない、分からない。

 

7年間、ずっとそばで見ているのに。

 

 

師匠のロート胸の施術についてはまた書きます。悩み、困っている方がたくさんおいででしょう。今は師匠しかみることができません。わごいち以外でも、師匠のような自然に形を変えていく直し方は無いでしょう。

 

「柔」とはなんぞや。

 

 

 

 

 

 

井上紙鳶