※読む前のご注意
今日のブログは私事の徒然なるままにです。なぜ私が今ここにいるのか、そんなことを振り返ってつらつら書いてます。備忘録までに初心のことを。
ご関心ある方だけ読んでみてください。まぁまぁ長いので。。。
3・11の年
台風19号の被害が甚大で、だけど私は被害のない大阪にいて、部屋でブログを書いています。
ただ私は私のやることをやり、そうして人生を生きていきます。でもそんなことをわざわざ立ち止まって考えるのも、今こうしてブログを書くのも、8年前のあの日の衝撃があったから。
あの3・11(東日本大震災)が起こった直後、2011年の4月。
「こんな時だからこそ自分にできることをやると決意して『三宅式整体塾』を開講した」
後から院長先生にいきさつを聞きました。私が『三宅式整体塾』の生徒募集サイトを見つけたのはその翌月、2011年の5月末のことです。6月から入塾しました。
これをすれば絶対なおる!
ここに行けばもう大丈夫。
これで助かった、生きていける!!
あの日のあの瞬間の、あの喜びを、あの安堵を、あの希望を、あの衝撃を、今なお色褪せることなく覚えています。覚えているというよりは、心が勝手に震えるという感じ。
弟子として過ごし、人を救いにいく立場として8年たった今、あの時の感情を明確に言葉にすることができそうです。

なぜ施術者を目指したか
薬漬けで3メートル先の物を取ることさえ叶わないほどのボロボロの体でありながら、なぜ私が施術者を目指したのか。(私は整体を受けるのが目的ではなく、丹足を習って自分の体を良くし、丹足を仕事にするのが目的でした。)それはありがちな動機で、「しんどい気持ちが分かるから」というものでした。
まぁ、その動機は甘かったです。
自分の体の改善途中、特にはじめの半年は、死ぬ気で一日を乗り越える、そんな毎日でした。2週間に一度の施術と、月に2度の丹足稽古と。丹足ができる体力をつけるため、毎日の足の鍛錬と体を引きずりながらの一時間のウォーキングを課していました。
一日でも早く元気になる必要があったんです。このことについてはまたいつか、お話しする機会があれば。
急激な体質改善の取り組みが、体調の乱高下を招き、しかしそのお陰もあって半年後には弟子入りできるくらいまでに復調できました。(弟子入り直後丸1ヶ月寝込む事になりましたが、それも今ではよい思い出です。)
そんな状態でしたから、もう自分のことで精一杯でした。誰かのしんどい気持ちを想い遣るどころか、自分の体がどうしたら治るか、どうしたら丹足が上手くなるか、その事で頭は一杯で、ふと振り返ったとき、自分の身勝手さに、情の無さに呆然としたのを覚えています。そんな自分が怖かったです。
余裕のない時こそどれだけ人を想い遣れるか、この仕事に就くに当たり人間性を問われたと思いました。
ハラから問い直す医学の常識
今、腎臓病についての記事に取り組んでいます。私自身、7年間のホルモン剤と中学生から乱用していた鎮痛剤の副作用で(それだけに限りませんが)、腎臓を悪くしています。記事を書くに当たり現代医療の主な治療法や考えを勉強すると、正直身の毛がよだつ思いになることもあります。
今、こうして元気に生きていることが改めて奇跡だと思います。
この8年で院長先生のハラ揉みはまるで別のものになりました。おそらく施術を受け続けている会員さんが一番実感しておられることでしょう。
私は最近、もうかれこれ1年ほどは施術を受けてはいませんが(受けなくても自分でなんとかできるところまでになり、今はそれが私のチャレンジでもあります。)、修行の一環でほんの少しではありますが触ってもらったことがあります。
この1年、いえきっとこの半年で飛躍的な変化があるはずです。変化というよりまさに別物だろうと思います。ここだけの話(大公開ですが……)、驚いたのと同時に愕然としました。ハラ揉みの先の遠さに。
私は8年かけて今の体にまでなりました。安定し始めたのは2年ほど前から。今の院長先生の技術が8年前からあったなら、4年で今くらいまでの改善が見られた……かも?!
これまでにはなおせなかった人たちもいました。その人たちへの想いも、今の技術の地盤となっているはずです。
「ハラから問い直す医学の常識」、そのタイトルのままです。現代医療が次々と新たな薬や治療法を開発し、治療の選択法を提示するなら、ハラ揉みはその精度を深め、より効果的により核心的に選択の余地を与えない。
選択の余地を与えない、というのは語弊があるかもしれません。「それしかない」「ただそれ」院長先生のハラ揉みの進化を目の当たりにすると、そういうことです。

積み上げる体
「ベースを上げる」
それがハラ揉みでは、わごいちの施術では可能です。それはつまり、体を変えるということです。
8年たった今、私は8年分を積み重ねてきました。よい状態を維持するのではなく、体のベースを上げてきた、その実感があります。
治すことと積み上げることは全く別の話です。積み上げるには体の可能性を信じなければいけません。それは施術する側も、施術を受ける側もです。可能性を最大限に発揮できる状態を作り出せるか。

現代医療は、「この症状にはこれが効く」「これがダメなら次はこれがよい」そうしたエビデンスに基づく的確な処置が行われます。選択肢がたくさんあって、複数選択することも可能です。万全といえば万全、ですが、出ている症状を一つずつ潰していく対処です。体の可能性など加味する余地がありません。
処置をすればするほど出てくる症状の一つ一つに振り回されて一喜一憂し、体全体のベースが下がっていく。これはあくまで私の個人的な感覚です。
ようやく言葉にできること
丹足を見つけた8年前のあの日、『三宅式整体塾』の塾長メッセージを読んだときのあの衝撃を、弟子として曲がりなりにもハラに向き合ってきた8年を過ごしてきた今、ようやく言葉にできそうです。
あと5年10年、まだまだ深く向き合えば、また変わっていくのかもしれません。
「こんな私にありがとう」
その一言に尽きます。
体は変わる。あなた次第でその可能性は無限にある。そういうメッセージでした。
体の理を生の理を、私は信じていませんでした。信じる信じないの問題ではないのでしょうか。知らなかった、知ろうとしていなかった。今だってまだまだ怪しいものです。
しかし「そうである」ということを教えてもらいました。それを無視したから壊れたのだと納得させてもらいました。私の体、私の生を、私よりも信じてくれる人がいる、そういう教えがある、それに対しての感謝と敬意でした。
身に余るとかそういうことじゃなくて。(「いや、身に余れよ。」というツッコミが聞こえてきそうですが……笑)
そしてまとめ。
本当に長くなってしまいました。ここまでのお付き合いをありがとうございます。ここまで来たなら、どうぞもう少しだけお付き合いください。

体は元に戻る、変わるというよりその表現の方が的確なのかもしれません。
私は私の元の体を未だ知ることができませんが、体の理を知る可能性はまだあります。そんな風に思えるようになったのも、やはりわごいちでの日々の積み重ねです。今回の症例ページ作成のチャレンジは、大きなきっかけとなりました。(まだ志し半ばの未完成ですが…)皆さんの力添えあってのことです。
そしてやはりあの日の衝撃に似た希望を、一人でも多くの人に感じてもらいたいから。
伝えられることを懸命に伝えていきたいと思います。

井上紙鳶
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岡田富美子 (木曜日, 17 10月 2019 18:21)
ブログに毎回勇気を頂いています
余裕のない時こそ どれだけ人を想い遣れるか この言葉が心に響きます
身体の調子が悪いと自分のことに精一杯で余裕がなくて…
自分はこれからどのように生きていくか(おおげさではなく)考えるきっかけを作って頂きました
でも考えてるだけで実行していかなくちゃ意味ないですよね�
誠実に想いを込めてブログ書いていらっしゃるのが伝わってきて気持ちが奮い立ちます
こらからもブログを楽しみにしています
紙鳶 (土曜日, 19 10月 2019 15:28)
個人的な徒然が何かのきっかけになったなら嬉しく思います。
今年も残り3か月を切りました。悔いのない一年となりますように。
井上紙鳶