脱力したい
アマチュアチェロ奏者のTさんがわごいち会員になって1年を過ぎました。体調が良くなるにつれ、チェロの音が変わっていくと言われます。
先月の施術中、院長先生に「いい音を出すために脱力できる体になりたい」と相談されたそうです。わごいちの山水コースは施術だけでなく「よろず相談承り」なので(笑)、院長先生もいつくつか参考になる動画をおすすめになりました。
それから4週後の今月の施術。院長先生おススメの動画を見られたTさん、動画にびっくり感動。さらに話が盛り上がっておられました。そしてその中で、「アマチュアだからこそ、こうした追究ができるのかも」というお話になったそうです。
アマとプロと求道と
「アマチュアだから追究できる」というのは不思議なようで、事実、その通りなのかもしれません。
例えばチェロのプロ奏者なら、目の前の演奏会を一つ一つ完璧に仕上げていくことが求められますから、「いい音を出すために脱力の基礎から学び直したい」という時間を確保するのは難しいかもしれません。
こうした追究は求道に近いところがあります。良いとか悪いとかじゃなくて、そういう嗜好とでも言いましょうか。
私もその手の嗜好が強くあるからこの仕事が楽しいのだと思います。ハラ揉みも丹足も、終わりのない求道だと思っていますから。
ただ求道と実際の施術は全く別のことです。施術は目の前に人がいて、いわば命と命の対峙です。私はプロですけど弟子ですから、求道の時間をいただくことができています。

回り道?
Tさんは「回り道」という表現をされたそうです。
なるほど、「回り道」。
求道したことが何かすぐの結果を約束されているわけではないし、一生結果など出ないかもしれません。「知りたい」という欲は大小深浅それぞれです。
私は結局最終的に、自分のことは自分しか救えないのだということを教わり、納得に至ってます。だから自分を救うために「教えてもらう」。どんなに「知りたい」と望んでも、一人で知れることなんてあまりに小さな世界ですから。
先を照らしてくれる道
だから求道はいわば自己成長に特化したやり方であって、だけど求道が深まるにつれ人に目が向くから不思議です。
求道というだけで、なんだか堅い感じでお高くとまった感さえしますが、そしてちっともスマートではありませんが、でも実は誰もが皆やっていることで、そして本当はやりたいことなんじゃないかと思ったりもします。
ただ先を照らしてくれる道を見つけられないから困ってしまうだけで。

求道と書いてなんと読む?
今さらですが(ほんとに今さらですみません。)、求道と書いて「ぐどう」と読むのか「きゅうどう」と読むのか、一般的には「きゅうどう」のようです。「ぐどう」は仏教だけに意味が限定されているのですって。
「きゅうどう」の意味は真理を求めるという意味だそうです。そしてキリスト教の教会用語でもあるそうです。
私のイメージ的には宗教とか関係なく「ぐどう」なのですが、パソコンではぐどうでは求道に変換されないんですよね。
求道したいと、何かに無我夢中になってみたいと憧れている人は意外と多いのかもしれません。そんな人たちが「道」のあるわごいちや千照館に、これから集まってくるだろうと思っています。
おまけ
院長先生がTさんに勧められた脱力のスペシャリスト、三船久蔵10段の動画。かなりの感動でしたので皆さんにもご共有を。
井上紙鳶