一月二日
年初めの一月二日、参尽さんと私紙鳶は院長先生宅にいました。女将さんが作られたお節料理を前に、新年のご挨拶に伺うためです。
上司の家に一月二日からお邪魔して、用意されたお料理とお酒を頂きながら一日を一緒に過ごす。そんな光景は今のご時世、結構変わっているのでしょうね。
わごいちは徒弟制度で成り立っています。師匠と弟子、それだけならず師匠と女将さんとお嬢さんと弟子二人、という関係性。
お正月という家族団欒の日を一緒に過ごし、新年を祝い、それぞれ5人5様できっと、心に留めることがあるのです。

徒弟だから?
徒弟制度の関係性だからお正月という大事な日を一緒に過ごすのが当たり前、では決してないと思います。そうして下さってるし、そうしてる。
徒弟と言うと世間的に「こうあるべき」感が強いと思います。そして実際やっぱり私もそういう面がありました。ですが最近は「こうありたい」を目指すものなんだなと感じています。だから「徒弟だから」って言うのは本来通用しない論法なんだろうと思います。
徒弟だから可愛がられてます。徒弟だから信じてる。だけどそれも結局自分次第で、当たり前なんて一つもありません。

「こうあるべき」とか「当たり前」って、ほんとややこしいし難しいって思います。
弟子に入って変わったこと
私は小さい時から「物言わずの知香」と周りの大人から言われ続けてきました。大学の時に一番の親友に「話してくれな分かれへん!」と言って泣かれました。
今、面白くないって言われるし、何言ってるか分からんと怒られるし、本当にお喋りは下手ですが、すごく喋るようになりました。・・・って、喋りたかった自分を知った、という感じです。
実はお喋りの片鱗は弟子に入ってすぐからありました。もちろんわごいち内だけでですが。わごいちの人たちは自分の想いを語れる相手であり、居場所になっていました。
あ~、私こんなに強い想いがあったんだ、こんなに聞いてほしいことがあったんだ、こんなこと話してもいいんだ、なんて、そんな自分にすごく驚きました。

話すことをさぼってた、と今は感じます。だけど、そう感じるようになったのは下手でも独りよがりでも話したからです。
聞いてもらったから、引き出してもらったから、引き出されることが喜びだったから。
話すってとても幸せです。話すとそれだけで身体も元気になっていきます。なんとも言い知れぬ解放感で、大事なことだけが浮かび上がって来るような感じがします。
少し偉そうに聞こえてしまいそうですが、話すことが面倒じゃなくなりました。話したって別にわかってもらえるわけじゃないし、とか、別に何も変わらないし、なんて、いつからそれを当たり前にしてたんだろう。いつまでそうしてるつもりだったんだろう。

話してほしい
お喋りはいっぱいするけれど、知らない間に「わざわざ話すようなことじゃない」を当たり前にしてることってすごく多いんじゃないでしょうか。
そして実は、その「わざわざ話すことじゃない」の方が、自分自身の心の奥深くでひっかかってることではないでしょうか。
私はわごいちで話すようになったから、今度は話してもらえるような私になりたいです。話してほしいです。そうしてようやく直すことができるから。

あなたも話に来てください。
かつて話下手だった私の所へ。

井上紙鳶
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