自己紹介(三宅弘晃)

はじめはカイロプラクターになろうと思っていたんです。27歳の時にとあるカイロプラクターの方のサイトを見たら、「骨の歪みが万病の元である」と書いてあって、これはおもしろそうだと思ったんです。それで脱サラしてカイロプラクティックの勉強をすることにしました。28歳の梅の咲くころでした。

 

桜が咲いて退社しカイロプラクティック学校に入学する直前に丹力の櫻井寛先生を人に紹介されました。櫻井先生は「お腹の不調が万病の元だ」と仰った。実際に施術を受けてみて、セミナーにも参加して、凄い世界だなと。凄い先生だなと。そして困ってしまった。果たして万病の元は、骨なのか、お腹なのか。当時の私は素人だったので何もわからなかったけど、直感で「お腹」にかけようと思った。コマツと言う大企業を辞めてまで挑む不退転のチャレンジ。でも直感が絶対にお腹だというので、それにかけてみることにしたんです。いやあ、あそこで違う道を選んでいたら、わごいちは無かったでしょうね。

 

私は元来手先が不器用で折り紙とか大の苦手なんですが、整体は不思議と体に馴染むようです。修業時代に練習がてら始めた出張整体ではリピートをもらえないことはまず無かったし、軽い気持ちで応募したマッサージ店でもいきなり支店長を任されそうになって慌てて逃げだしました。10か月の修業期間を経て開業したわけですが、開業半年でHANAKOが私を見つけてゴッドハンド特集を組んでくれたり、その後も日経トレンディやらテレビ局やらが取り上げてくれました。手先が不器用でも整体はできるようです。

 

ゴッドハンドというのは一つの考え続けているテーマです。少なくとも有名だとか、メディアに出ているとか、それとゴッドハンドは直接関係がないのは間違いがない。じゃあ本当のゴッドハンドって何なのよ?ってことを考え続けてかれこれ20年ほど経ちました。それでもいまだ答えは見つかっていないのですが、例えば死人を生き返らせることが出来たなら、それはゴッドハンドと言ってもいいでしょう。もちろんそんなことは出来るとは思えませんが、出来るかもと真剣に思い続けて修業し続けるようなバカな人間がいたらなば、もしかしたらゴッドハンドに成れるかもしれません。

 

わごいちは私にとって特別な場所です。通う人にとっても特別な場所であってくれたら嬉しいですが、私には間違いなくそうです。開業以来、数えきれない人たちが私の施術を受けに来てくれました。無理難題を抱えて。初めにみんな言うんです。

 

「私はこんな病気を抱えて様々な病院や治療法を試してきました。でもなかなか良くならないんです。どうして良くならないかを必死で考えて、辿り着いたのはお腹でした。もしかしたら原因はお腹にあるんじゃないか、そう思ってここに来たんです。先生、ここが私の最後の望みです。ここで治らなかったら私は一生この病気を抱えて生きていかなくてはならないのです。先生が最後の希望です。よろしくお願いします。」

 

私にとってこれは脅しです。懇願しながら脅してくるんです。もちろん本人には脅す気持ちなどなく必死なのです。それはわかるんだけど、私だって神様じゃない。力の限られた同じ人間だよって大きな声で叫びたい時だってあります。でも皆さんの辛い気持ちももちろん分かるし、頼りにされるのは嬉しいし、そのためにこの道を選んだんだし、一つ一つの未知なる病気と向き合ってきました。おなかに触れ、体を整え、反応を見て病気や不調の本当の原因(私はそれを核心とよびます)を見極めようと努力を続けてきました。もちろん全ての人を救えたわけではありません。しかし粘り強く通う人と向き合う私の努力は大抵実を結びました。そして一つ一つの病気の対処法が理解できて来たのです。

 

私にとってはわごいちの歴史は苦しみの歴史。そしてその先の喜びの歴史。仕事上がりに毎日お酒を飲みますが、家族にはアル中と言われていますが、お酒の味は毎日違います。美味しい酒もあれば、喉を通らない酒もあります。味はすべてその日の仕事次第。納得いく仕事ができて、それが相手と響き合ったときは美味しいし、そうでないときは美味しくない。今わごいちには毎月通い続けて5年、10年という人たちがほとんどですが、この人たちはそんな歴史を一緒に作ってきた戦友でもあります。だから私にとってこの人たちは特別な人たちだし、わごいちは特別な場なんです。どこまでいけるかは分かりませんが、これからも一つ一つの病気に向き合い、一人また一人と出会い、進化し続けるわごいちでありたい。そしてできるだけ美味しい酒を呑んでいきたと思っています。

 

 

三宅弘晃

 

月間武道誌『秘伝』の取材を受けるため、櫻井寛先生と共に柳生新陰流前田秀樹先生の道場を訪問した際に撮影。左端が櫻井先生、右から2人目が前田先生、右端が私。開業間もないころの写真と記憶。
月間武道誌『秘伝』の取材を受けるため、櫻井寛先生と共に柳生新陰流前田秀樹先生の道場を訪問した際に撮影。左端が櫻井先生、右から2人目が前田先生、右端が私。開業間もないころの写真と記憶。