自己紹介(三宅弘晃)

いったいいつからか忘れましたが、私は周りの人たちにかわりもん(注 大阪弁。変わり者の意味)と言われてきました。残念ながらその自覚もあります。

 

例えば、東京都内や大阪市内などの海の近くにいるとして、10分後に大津波がやってくるとサイレンが鳴ったら皆さんどうするか。おそらく山手の高台に向かって走ると思います。しかし私は逆に海に向かうような予感がしてならないのです。もちろん根拠はあります。それは山手に向かえば同じように逃げる人たちが、大都会ですから沢山居るに違いありません。そして山に向かえば向かうほど逃げる人で混雑してきて、道は車や人でいっぱいになり身動きが取れなくなるんじゃないか、そう想像します。もしそこに津波が襲ってきたらどうなるか。どうにもなりませんよね。私というかわりもんはそう考えるのです。だから海の方向、つまり人がいない方向に逃げる。そしてなるべく頑丈で背丈の高いビルやマンションを見つけて非常階段を一気に駆け上がり、屋上で柵かなんかにしがみついて津波を待ち受けるのです。もちろんイチかバチかの賭けにはなると思います。でも人と同じように行動するのが一番安全という感覚は私にはない。むしろ危ういとさえ感じる。そして無意味に人に流されて選択して、それが失敗に終わって死ぬようなことになったら、おそらくものすごく後悔するであろう自分が容易に想像できる。だからこそ自分の直感を信じて海に向かって走って、ビルの屋上で運を天に任すほうが私としては納得ができる。一事が万事、そういう価値観で人生を選択してきた人間です。だからかわりもんと言われるのでしょうね。

 

この世界に入った時、同業者によくかわりもんと言われました。「君はキャリアがあるのになんでこんな職業に来たん?」と何度も聞かれました。私はそれを聞くのが本当に情けない気がして嫌でした。俺は自分がやりたくて、ここに夢を感じて入ってきたのに、なんでそんな考えになるんや?整体ってそんなにつまらない仕事か?君らは消去法で人生を選んでいるのか?と思ったけど、それは言わなかった。俺はこの仕事を誇りをもってやる。一流企業だろうが未練なんて全くない。前に進むだけや。その気持ちをグッと固めてこの世界に入り、そして約20年。その気持ちは今に至るまで揺らいだことは一瞬たりとてありません。私はこの仕事を選んで本当に良かった。

 

 

 

変わりもんの書

 

 

 20年も経つと、一人のかわりもんにもちゃんと教え子ができ、ファンがつき、社会的な信用も多少なりともできてきます。でも人の印象って面白いもので、断片だけを見てその人の全体像を理解したような気になるようです。「沢山の重傷者を救っているわごいちの院長先生だから、人格も立派で、生活も規則正しく身体に良いものを選んで食べていらっしゃるんでしょうね。」と、そんな世間一般の理想の先生像を押し付けてくる人がたまにいるのです。何をおっしゃいますやら!私は今も変わらずかわりもんです。かわりもんだからハラ揉み術や丹手・丹足法のような他にはない技術も産まれてきたし、会員制とかいうなんだか敷居の高そうな制度や、大事なお客さんを説教して泣かすような非常識なコミュニケーションを皆さんに押し付けて、のうのうと院の経営を続けているのです。

 

「和を以て貴しとなす」と言ったのは聖徳太子だそうで、わごいちにも和の字は入っていますが、今の時代は和を勘違いしているようにかわりもんには見えます。人と同じであろうと努力すること、人の枠からはみ出してないか心配すること、はみ出る人間を攻撃すること。それは和ではないと思います。十人十色、百人百様、さまざまなかわりもんが居て、それらが一緒になって一つの理想にまい進するときに本当の和の力が発揮されるのだと思います。これからますます混迷を深めるであろうこの現代社会において、わごいちは益々かわりもん精神を発揮し、ハラから生まれ出る理想に向かって他のかわりもんたちと共にまい進し続けたいと思っています。どうぞ面白可笑しく見守って下さい。

桜井先生と私
月間武道誌『秘伝』の取材の際に柳生新陰流前田秀樹先生の道場にて。左端が丹力を教わった櫻井寛先生。右から2人目が前田先生、右端が開業直後のひよっこな私。