· 

わごいちと医療①(これまで)

三宅です。

 

 

本町から北浜に向かって歩いていると見つけました。

 

道修町という薬屋さん(製薬会社)が集まる街の中に、神農さんという薬の神様を祭る神社があるんですが、その入り口にこんな看板があったわけです。もう神頼みしかないようですな。

 

で、思ったんです。このご時世、家にいてもコロナ報道ばかりでうんざりという人がいたら、ひとつの暇つぶしに、普段話さないようなことでも読んでもらおうかと。題して「わごいちと医療」という企画です。3回くらいにわけて書いてみましょう。

 

今日は過去から。

 

私が整体を始めたのは約20年前の28歳の時。祖母がリウマチの副作用による心臓病というよくわからない理由で他界し、その死に納得できず、医療ではない命の守り方を模索するためにこの道に入りました。

 

これは私の原点です。私はアンチ医療じゃないんです。サポート医療なんです。医療の足りないところを埋めていく。医療が足りないところを埋め、もし医療がそこもカバーしてくれるなら任せたいし、全部カバーしてくれて私の仕事がなくなったら、田舎で本屋居酒屋をやりたいと思っています。

 

ちなみに本屋居酒屋というのは今書きながら思いついたアイデアで、おいている本を読みながら酒を飲んでもらったり、その本についてマスター(私)と語り合ったり、そんなコンセプトですが。私にはいろいろとやりたいことがあって、それはどんどん変わっていくんです。酒蔵経営もしてみたいと思ったこともあるし、農家をしたいという気持ちも今でもあります。出版社を持ちたいという気持ちもあります。いろいろあってどんどん変わっていく。変わらないのは、まだまだわごいちの仕事が終わりそうにない・・・・・という厳しい現実だけです。

 

脱線しました。本題に戻りましょうか。

 

現代の医療はすごいなと思っています。正確に言うと、全面的にすごいのではなく、すごいところが沢山あるなと思っています。例えば最新の医療情報は学会ですぐに全世界に共有されることなど、本当に素晴らしくうらやましい制度です。技術や情報を「飯のタネ」として隠そうとする整体の世界は、本当にこういうところを見習わなあかんように思います。

 

さらに、この素晴らしい医療の中でも日本の医療が特にありがたいなと思うのは、国民ほぼ皆保険制度に守られて、非常に質の高い医療サービスが安価に受けられるということです。私にも何人が知り合いがいますが、現場の医療従事者の献身的な仕事ぶりには素直に頭が下がります。なかなかこんな国は多くはありませんね。私たちは本当に幸せな国民だと思います。

 

しかしその一方で、現代の日本医療にも色々と盲点があります。私が一番気になることは、医者が点数(保険治療費)に縛られて診療せざるを得ないことです。この検査をしたら何点、この治療をしたら何点と細かく縛られている。またこの病気にはこの治療をしなさい、という風に治療方法の選択肢も限られている。整体の現場から見ていると、医療現場の裁量というものがとても

窮屈そうに見えます。(本人がどう思われているかはわかりませんが。)

 

わごいち的に言うと、なぜ内科の診察でおなかの触診をする医者が減っているのかという疑問があります。「おなかが痛いと病院に行っても血液検査だけで体に触れてさえくれない」そんな不満をもつ人が世の中にはいっぱいいます。その不満にこたえてくれる人がいない。なぜ痛いのかを教えてくれる人がいない。どうすれば治るのかを示してくれる人がいない。

 

わごいちはそういう人たちを受け止めて来ているんです。ずっと。

 

経験豊富な医者にとって、おなかの触診はそんなに難しいものじゃないはずです。なにしろ医学部で6年間もみっちりと勉強を続けてきた勤勉さをもつ人たちですから、腹部触診の研修をしっかりと組み、かつ点数をちゃんとつければ、もっともっと多くの患者さんを救える医療になるに違いないのです。でもそんなことを考えている医療者はほとんどいません。おなかを揉む意味が理解されていないのです。

 

私は学生からサラリーマンの間、10年以上リウマチで苦しんでいた祖母の姿を見てきましたから、そこを救いたいと思ってわごいちをやってきました。おなかがいかに大事さを多くの人に理解してほしいと願ってブログを書いたり講演会をやったりしました。別におなかに触れて揉むのはわごいちでなく病院でもいい。わごいちで私が独自に培ったハラ揉み技術を、医療が応用研究し、臨床現場で活用してくれたら一番いいのに・・・、ずっとそう思ってやってきたんです。

 

千里の道も、五歩くらい来たでしょうか。笑

 

 

 

三宅弘晃