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わごいちの作り方⑯屋号変更後編「和合一致」とは何か

わごいちにとって大きな節目となった2007年。初出版、初弟子に続く大きな出来事は屋号変更でした。今回はその後編です。

 

とある休みの日。整体の世界に入るきっかけを与えてくれた祖母に仏壇で手を合わせていると、ふと「和合一致」という言葉が浮かびました。霊感などはないので不思議に思いながら、忘れないようにメモに書き留めました。「和合一致」・・・「わごういっち」・・・「わごいち」・・・あ、屋号にいいなと思いました。

 

それまで屋号を変えようとは思っていませんでした。メディア取材のお陰で「たんりき」の知名度は高いし、お客さん皆さんも愛着を持ってくださっているし、変える必要はありません。

 

しかし改めて考えてみると、櫻井寛先生から学んだ「丹力」は6年経って随分変わっていました。足圧は丹足に進化しつつあったし、私が考案した手技はずいぶん充実しています。呼吸法は同じままですが姿勢法は別物。「先生、助けて」と津々浦々からやってくる皆さんと共に積み重ねてきた技術の数々。それらが丹力の枠内からあふれ出していることに気が付いたのです。

 

「丹力」とは「腹から元気に美しく」をモットーに、おなかを第一とする健康理論です。施術も姿勢も呼吸もおなかを中心に整えていくことが大事だよ、と訴えかけるものです。一般に整体と言えばだいたい筋肉や骨中心ですから、あるいはツボとかリンパとかもよく聞きますが、もちろんそれらも大事ですが、肝心のおなかが弱っていると根本的によくならないよ、と丹力は説きます。まさにそうなんですね。

 

「和合一致」はおなかが大事ということは踏まえた上で、人との向き合い方を問うものです。どれだけ優れた整体技術を駆使しても、人間には感情がありますから、受け手が心を閉ざしてしまうと身体が硬くなり、ほぐす指が深く入っていかないものです。逆にたとえ心を開いてもらっても、ほぐす側の心が頑なだったり、視野が狭かったり、集中にかけていたりするとやっぱり指が深く入っていかないのです。すると薄っぺらな表面的な整体になってしまうのです。

 

相手のことを自分のことのように想う。相手を深く感じようとする。いわば自分の身体を揉んでいるような感覚で相手の身体を揉むことができるようになると、感度が劇的にあがり相手の状態が透けるように見えてきます。「先生どうしてそこまで私の身体のことがわかるの?」と施術の時に質問されることも多いですが、それこそ「和合一致」の真価なのです。まとわりつく「自分大事のエゴ」をはぎ取り、自分と同じように相手を大事に思おうとする心がけ。その継続でようやく少しづつ見えてくる境地こそが「和合一致」なのだろうと思います。

 

屋号を「わごいち」に変えて18年。歳月を重ねて私たち自身の和合一致の理解も深まっているように感じます。同時にお客さん皆さんにも同じような変化を感じています。屋号はその屋根に集う人たちの心に働きかけるものなのでしょう。きっと。(つづく)

 

 

三宅弘晃