《人生は選択の積み重ね。なにを選ぶか、なにを選ばないか。その選択が人生を決める。》
わごいちは世間一般の整体イメージとはずいぶん違う施術、経営を行っています。紹介が紹介を呼び、日本各地からさまざまな不調を抱えた方が通われています。
わごいちってどういう整体院?
私、三宅弘晃がこの世界に入ったきっかけから、今に至るまでをご紹介します。
私は会社員だった時に祖母を亡くしました。祖母は長らくリウマチを患っていて、その毒が心臓と腎臓に回ったのが死因だと主治医に言われました。
その時「リウマチの毒による死」という言葉に違和感を持ちました。
しかし失ったものはもう取り戻せません。「もう二度と、大事な家族を納得できないまま失いたくない」と思いました。
「病院で治らない人の助けになろう」
その時の決心が私の、わごいちの変わらぬ原点です。
客観的に今の日本ほど高品質な医療が整う国はほとんどありません。
しかしそんな医療でもカバーできない「すき間」や「盲点」があるのも事実。病院や鍼灸・漢方でも治らない人たちは、どこに行けば救われるのでしょうか。
わごいちはそんな「わらにもすがる思い」でやってきた人たちの、その苦しみの受け皿になるためにあります。
どうすれば不調が治るのか。
実は病気や不調を治すものは薬ではなく「自然治癒力」なのです。薬はその力を借りているだけなのです。自然治癒力とは傷や炎症を勝手に治してくれる、あらゆる生命に宿る素晴らしい力です。
わごいちが深く深く「おなか」を揉むのは、おなかの奥底から自然治癒力を引き出すためです。その力を血流にのせて全身に行き届かせ、不調や病を治してもらうためです。
「自然治癒力」とはすなわち「おなかの力」。私たちはこれまでの実績から、そう確信し施術を究めています。
苦しんで迷っているのなら、私たちを頼ってください。わごいちを選択されたあなたの為に、私たちは力を尽くします。
わごいち院長
三宅弘晃
<理念:和合一致>
「治らぬ苦しみにピリオドを。」という共通目的のもと、お客様と私たちが深い信頼関係を築き、一体となって取り組む場を作ります。
<施術方針:直さば治る>
私たちが病気を治すのではない。私たちは原因を「直す」。そうすれば自然治癒力の力が働き「治り」ます。
三宅弘晃(みやけひろあき)
1972年滋賀県生まれ京都府育ち。1997年大阪学国語大学(現大阪大学)卒業、(株)コマツ入社。2001年3月退職、整体修行を始める。同年12月に整体院わごいちを開業。内臓から不調を解消する独自技術を次々と考案。不調を抱えた人たちが全国から人が集まる。わごいちでは昔ながらの徒弟制度をとり入れ、厳しくも家族のように互いを大事にする職場つくりを推進している。他には整体道場「千照館」、整体学校「あかつき整体カレッジ」を主宰し「本当の整体」を伝えるためさまざまな活動を行っている。著書『おなかの詩』『最強の睡眠力』『整体院経営百科』他。
井上紙鳶(いのうえしえん)
1978年大阪府生まれ大阪府育ち。幼稚園から大学まで奈良県帝塚山学園に在籍、1999年帝塚山大学卒業。祖母が鍼灸師、叔父が医師、父親が鍼灸柔整師という治療家系に育つも、中学生のころから体調不良が続き薬に頼る生活を送る。7年間の無月経の間に様々な治療を試みるも悪化の一途をたどっていたが、2011年6月にわごいち院長三宅弘晃と出会い、その施術と三宅が主宰する「三宅式整体塾」での丹足法の実戦で無月経を克服。翌年6月に弟子入りし、体質改善をしながら技術を磨き、現在に至る。ハラ揉みわごいち副院長、整体道場「千照館」の師範代を務める。
2001年 大阪本町・心斎橋エリアに<心斎橋たんりき>開業
2002年 同じ本町内の樋口ビルに移転
2003年 HANAKOより初取材。以後各種メディアの取材殺到
2007年 屋号を<わごいち>に改める。『おなか美人ダイエット』(中経出版)刊行。徒弟制度導入
2011年 <三宅式整体塾>開講。
2012年 同じ本町内、現在のタケコウビルに移転
2017年 <三宅式整体塾><腹育道場千照館>と経て<一般社団法人丹足普及協会・千照館>を設立
2021年 『おなか白湯もみ健康法』(ワニ・プラス)、『整体院経営百科』(アートヴィレッジ)刊行
2022年 詩集『おなかの詩』刊行。<おなかの学校>設立
2023年 『最強の睡眠力』(青萌堂)刊行
2024年 <おなかの学校>を<おなか元氣倶楽部>に改定、あかつき整体カレッジ設立
ハラ揉みわごいち
<世界に一つだけの技>
大阪市中央区南久宝寺町4-4-5-6F <受付>完全予約制(前日まで)<定休日>水、祝 <施術時間>10時~17時