『最強の睡眠力』書評ご紹介

財団法人カンセイ・ド・アシヤ代表山田良様より書評を頂戴いたしましたのでいかご紹介いたします。


【book reviewー 三宅弘晃『最強の睡眠力』(青萌堂、2023)】

書店だと、おそらくこの本は、「実用書」棚の「健康」コーナーに配されるのだろう。

『最強の睡眠力』というタイトルからして、睡眠をコントロールして毎日の生活を利益あるものにしていく方法(いわゆる「ハウツー」)が満載されている感じがする。

たしかに、この本には、腕利きの整体師である著者が、長年の施術経験から得た膨大なデータ(可視不可視両方)に基づいて気づいた/編み出した、睡眠に関する具体的かつ非常に効果的な「技」「テクニック」が沢山紹介されている。理由や原理は置いておいて、その「技」だけを拝借する、という読み方ももちろんアリ、だ(それだけでもこの本を買って読む価値は十二分にあると思う)。

けれども。

実は、この本は、どちらかというと「思想・哲学」棚がふさわしい一冊だと思う。

「寝食を忘れる」という表現がある。

睡眠や食事をせずに、何かに没頭、熱中する、という意味だ。

が、そもそも、なぜ何かに没頭すると忘れてしまうのが、他ならぬ「寝食」なのか。

それは、睡眠や食事は、「集中すること」と対照的な営みだからではないだろうか。

仕事や遊びに「集中」する時、人は己の「身体」の存在を忘れてしまう。

睡眠や食事は、否応なく「身体」に「戻らないといけない」行為だ。

子供の頃、遊びに没頭していて「ごはんよー」とか「もう寝なさいよー」と声をかけられた時に思わず感じた苛立ちや、落胆。

あの感覚は、大人になった今も生きていて、しかし子供の頃のように強いて中断させられることがない今は、際限なく没頭し続ける。そう、文字通り「寝食を忘れて」。

ヒートアップする脳と同じ体内に居ながら、内臓、血液、筋肉、骨といった無数の生命パーツの集合体である「カラダ」は、

黙っている。「カラダ」は何も言わない、少なくとも、脳と同じやり方で「表に出す」ということをしない。ただ黙って、

日夜、動き続ける。あちこちに傷(いた)みという「反応」を出しながら。やがて、ある日、「カラダ」が決定的に壊れる。

走り続けていた脳が、一緒に壊れることも、ままある。その時初めて人は気づく。

「身体」がなければ、そもそも没頭、集中すること自体、不可能なのだった、ということに。

失って初めて、人はそのことに気づく。空気や水と同じように、いやそれ以上に、「身体」が己が存在することの「大前提」である、ということに。

『最強の睡眠力』の「あとがき」は、こうしたことを、著者自身の、血の通った声で伝えてくれている。「あとがき」こそ、実はこの本の「本質」が最もよく現れていると思う(「思想・哲学書」の棚が向いている、というのも、それが理由だ)。

「命はなぜ眠るのか」と題されたこの「あとがき」で、著者は言う。

「本質的に傲慢な生き物」である人間にとって、「唯一思い通りにならない世界」がある、それが眠りだ、と。睡眠と真摯に向き合うことは、すなわち「思うままにならないものとどう向き合うか」を考え生きていくことでもある、と。

睡眠、は、人間が己の中に見出す神秘であり、底知れない宇宙だ。書物と五臓六腑の声を同等の精度で読み取り聴き取る、異能の才をもつ整体師である著者ならではの著作であり、実用レベルから深読みレベルまで、読者側からの多様な「読み」を受けて立つ、懐の深い一冊。