· 

わごいちの作り方③卒業制度を踏み越えて

以前わごいちに卒業制度があったと聞いたらビックリされるでしょうか。しかし本当にあったのです。今回はそんな話をしましょう。

 

 私が「わごいち」の前身である「心斎橋たんりき」を開業してまず作ったのが卒業制度でした。とにかく10~15回でおなかを良くしてしまおう。そしてもう通わなくてよいようにしよう。そういう施術プログラムを作りました。その根底には「整体など本来不要なもの。健康は自分で守れるはず」という考えがあったのです。

 

 週一のペースで皆さんに通ってもらい、ひたすらおなかを揉み、家ではウォーキングやハート呼吸をしっかりしてもらって悩みを解消し、沢山の人が晴れて卒業していきました。もちろん皆さんに大変喜んでもらえました。

 

 大誤算だったのはその後でした。卒業した人たちがまた戻ってくるのです。「卒業後もちゃんとハート呼吸を続けたけど、また元に戻っちゃた」と。若き三宅は悩みました。なんで戻るんだと。動物は整体院に通わなくても健康じゃないかと。人間も一緒じゃないのかと。なんで動物にできて人間にできないのか。そんな悩みの最中に見たのが映画「ラストサムライ」でした。

 

 当時大きな話題となったハリウッド映画ですが、外から見た幕末日本の農村暮らしを見て「ああ、そうか」と変に合点がいったのです。あのような暮らし、つまり簡素な和食、肉体労働に規則正しい生活があってこその健康なのだと。確かにあの時代に整体師はほとんど必要なかったろう。せいぜい骨接ぎと薬師がいればこと足りるだろう。しかし今はジャンクフードに運動不足に睡眠不足。空気も水も汚れていて、普通に暮らしているだけで病気を体内に育てているような時代だ。そういう時代にはなんらかの対処が必要なのだ。整体はその一つなのだとハッと気が付いたのです。

 

 そんな経緯で卒業制度は1年も持たずに終わりました。しかしその終わりは、病気を育む現代生活に対峙する「ハラ揉みわごいち」の始まりにもなったのです。

 

 

三宅弘晃