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わごいちの作り方⑥理想の場所を求めさまよう10年(後編)

 

 わごいちが今のタケコウビルに嫁入りしたのは確か12年前の6月でした。足掛け10年も探し続けた移転先も決まるときはあっという間。ワンフロアワンテナントの静かな環境。洗濯機2台とシャワー設備も設置可能。そしてなにより南向きの明るい窓から見える難波神社。空と太陽。「こここそ理想の部屋だ」とひとめぼれ。広すぎて家賃が予算オーバーでしたが、最後は「ここで頑張るのみ」とハラを括り契約しました。

 

 部屋が広いと改装費も高くつきます。予算が尽きたので工務店への発注は最小限にあとはスタッフ総出でDIYをしました。更衣室も事務スペースも床の間も自分たちで作りました。床は橋本畳店さんにわがままをいって畳の下に炭シートを敷いてもらいました。壁と天井はお客さんとスタッフで和紙を貼りました。皆で「ちょっとシワできたかも~」とかワイワイ言いながら和紙を貼り、その後はわが母のお弁当を一緒に食べ、今の心温まるわごいちの部屋が出来ていきました。

 

この12年間、昼は整体院、夜は工務店となっての部屋作り。大げさかもしれませんがサクラダファミリアをつくっているような気分で一つ一つレンガを積み上げるように、人の手をかけわごいちは形になってきました。「なんだか分からないけれどこの部屋は落ち着く」と皆さんが言われるのは、畳や和紙や木材などの天然素材の良さに加え、色々な人の手のぬくもりが入っているお陰だと思います。

 

 8坪から始まり、16坪、そして今の35坪と仕事の充実に合わせてヤドカリのように引っ越しをしてきました。先のことは分かりませんが、部屋はここがゴールかなと思っています。今は2人で広さを持て余していますが、いずれ4,5名ほどのスタッフで落ち着きと活気が両立する場になるのではと思います。

 

 私は今のわごいちで過ごすうちに「場」という感覚を持つようになりました。部屋・空間という物理的な捉え方ではなく、英語で言うフィールドのようなニュアンスに近く、しかし本質的には人格、自我をもった「存在」のように感じます。わごいちは場として独自の意思を持ち存在している。この場は私たちが作ったのか、場が私たちに作らせたのか。その両方が当てはまるようでもあり、おそらく後者のほうではないか、とも思うのです。

 

 

三宅弘晃