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井上紙鳶の胃弱履歴書

私がわごいちの施術を初めて受けたのは33歳の6月でした。それから11年と少しかけて、私は体質を掘り起こすように変えてきました。

 

最も困ったことが食事でした。自分のおなかの変化にも、他人や社会とのバランスにも苦労しましたが、お陰様で生まれたものがあります。

 

「胃弱な私のおなかにも優しく、だけどみんな一緒に楽しく美味しく食べたい」から始まった、『紙鳶のたいたいレシピ』です。

 

そんな私の欲張りから生まれたたいたいレシピは、11年かけてわごいちに少しづつ根付いています。とても有り難く嬉しいことです。

 

今日は初めて、私の胃弱履歴を振り返ってみようと思います。

 

33歳半までのこと

正直に告白します。

 

わごいちで施術を受けるまで、自分が胃弱(しかも極度の)だなんて思ったことは、一度もありませんでした。もっと言えば、わごいちでの施術全盛期時代、それまで大好きだったものが全く食べられなくなったときでさえ、胃弱と自覚したことなんてありません。体質改善のそういう時期、と思っていたのです。

 

振り返ってみれば食べれるものがほとんどないくらいの胃弱だったのになぜだと自嘲しますが、私に胃弱の自覚がなかったのは、生まれてから33歳までの暮らしにあります。

 

親戚の集まりでも友達との会食でも、

 

「残り物は全部私の前に並ぶ」これが常識。

「出されたものは残したことがない」そんなの当然。

 

夏バテ知らず、高熱が出ても普段通りなんでも食べられる。お肉もお魚もお野菜もお米も、パンもパスタもお蕎麦もお餅も、チーズもチョコレートもパフェも洋菓子ももちろん和菓子も、全部大好き!

 

「ホンマによく食べるのに太らへんから羨ましいわ」と言われ続けた33年間でした。成人してからはそこにお酒も入ります。ビール以外のお酒は大好きで、度数が強くても結構いける口でした。

 

わごいちで身体のことを学び、おなかの整体師になった今は、大食漢と豪語していたその時から胃弱への道は始まっていたことが分かります。物理的に胃を傷めるほどの食べ過ぎです。

 

私の場合はそこに鎮痛剤の過剰摂取と長期にわたる睡眠不足が、さらに胃弱を加速させた面はありますが、要するに食べ過ぎの蓄積。おなかを壊すわけでもないのに、まさか食べ過ぎで胃が弱ってしまうなんて、全く知りませんでした。

 

33歳半からのこと

33歳の6月に、わごいちでの施術をはじめました。主訴は全身の倦怠感とむくみによる痛み、頭痛肩こり背中の痛み、極度の便秘でした。

 

無月経が7年間続きホルモン剤を飲み続けていたのですが、無月経を整体で治すとは考えていなかったと思います。もちろん胃を良くしてほしいなんて考えも及ばないことです。

 

とにかくもう耐えきれない身体の痛みとしんどさを何とかしなくては生きていけない、その一心でいくつもの病院をめぐり、評判の良い民間治療や高額なサプリ、漢方薬も運動法も手当たり次第に試した後のことでした。

 

「内臓を元の位置に戻す」というわごいちの施術法に、これだ!これできっと大丈夫となぜか確信して通い始めたのです。生理のことや腎臓のこと、身体の痛みや不眠のことも、(残念なことに)お話しできることはいくらでもあるのですが、今回はとにかく胃に絞ります。

 

施術をはじめてから約半年、この時期はこれまで食べていた物がどんどん全く受け付けなくなっていく日々でした。身体のことを思って我慢するという話ではなく、ただ本当に食べられなくなったのです。

 

はじめは油からでした。

 

お肉が食べにくいとかそんな次元ではなくて、サラダにかかっているドレッシングも、少なめの油で炒めたお野菜も、ほんの少しでも入っているだけで飲み込むことを身体が拒否する。そんな状態では誰かと一緒に食事をするなんて到底無理です。外食なんて論外。

 

玄米と塩だけでつけた梅干しと、お塩を振った生野菜とたまにお豆腐と…そんな毎日。それでも食べなくてはと必死で食べていました。当然ながら、ただでさえ細身でしたがそこから8キロほど痩せました。

 

両親の心配も当然のことです。「もっと食べないと」「お肉を食べないと」の繰り返しを毎日聞きながら、どんなに頑張ってもどうしても食べられない身体の状態を、理解してもらうことはできませんでした。

 

隠れるようにご飯を食べ、暑い日でも首の詰まった長袖を着るとてもつらい毎日だったことを、懐かしく思い出します。

 

34歳の6月にわごいちに弟子入りしてからも、私が食べるものはそれまでとほとんど変わりませんでしたが、食べる量は飛躍的に増え、むしろ食べないと体力が持たない状態でお米ばかり食べていました。

 

体力がついてきて私の身体を理解してくれる人たちに囲まれ、私ほど恵まれた胃弱生活者はいないと思います。

 

極度に胃弱な私も、最強の健康体と言えるお師匠さんとお師匠家族と姉弟子も一緒に、「美味しいね」と顔を見合わせて笑い合って食べられるお料理。それがたいたいレシピの始まりです。

 

一緒に食べたい、おなかを守りたい、自由に素朴に美味しいねって喜び合いたい。したいしたいのたいたいレシピ。

 

食べられなくなって初めて、誰かと一緒に楽しく、そして美味しく食事ができる喜び、美味しいを共有できるあの幸福感を、どうやって伝えたらいいでしょう。

 

44歳現在のこと

我が家には油はありません。

 

どんなに質の良い油でも、やはり毎日の食卓に並ぶには胃にはつらいからです。お家では油がなくても満足できるお料理を心がけています。

 

ちなみに今はもうお陰様で、質の良い油は美味しくいただけるようになりました。外食も

存分に楽しく美味しくいただけています。体質改善万歳です(笑)。

 

我慢するのではなく、それを美味しいと心から思って味わっていただけるお食事時間を、日本中の胃弱さんにご提案したい。虚弱な人も強壮な人も、みんなのおなかに優しくて満足できるお料理をお届けしたい。

 

そんな気持ちを育ててもらった11年でもありました。

 

今年になって、「紙鳶のたいたいレシピ」が「わごいち生まれのたいたいレシピ」に進化してわごいちで広がりを見せています。その輪がわごいちの外にも少しづつ広がっていきますように、たいたいレシピ教室の開催を企画中です。

 

 

改めてまた、ご報告させてください。そして是非ご一緒していただけたら嬉しいです。 

 

 

 

 

井上紙鳶

 

『おなか想いのたいたいレシピ教室』

ついにとうとう、開催決定しました!詳しくはこちらをご覧ください。

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